ヒラヒラと舞い降りてくる白い氷の結晶は、まるで彼の死を惜しむかのように、その墓を白く染めていく。
 普段、雪の降らないこの街で、ここまで雪が降るのは記録的なことらしい。


 地上に降り立てばすぐに水へと姿を変え、そして積もる事無く、明日には姿を消してしまうであろうその儚さも、まるで彼のようだ。と思った


 墓石には、『罪門家之墓』と記されている。
 「直人さん」と、口の中で彼女が知る、そこで眠る人物の名を口にすれば、今まで手を合わせていた彼女の姉が、「茜?」と心配そうに声をかけてきた。


 2月19日。
 その日は茜にとって特別な日だ。
 科学捜査官になろうと心に誓った日でもあり、そして、とても大切な物を失った日でもある。


『初恋は実らない』


 そんな言葉があるけれど、あんな酷い振られ方をするのは、後にも先にも彼一人きりだろう。


 胸が思わず苦しくなる。
 今まで堪えてきた物が、堰を切って出てきそうになり、茜は思わず息を飲み込んだ。
 もっと強くならなければと思うのに、毎年ここに来ると考えずには居られない。
───私があの日、あの場所に居なければ、直人さんは死なずに済んだだろうに。と。


 泣きそうになった茜の脳裏に、『私はここに居ないから、お墓の前では泣かないで』という、何かの歌の歌詞が過ぎる。


 そうだ、もう彼はここには居ないのだ。
 もうこの世のどこにも、自分と彼と親しくしていた者達との、その想い出の中以外では存在していない。
 だから、ここで私が泣いてはいけないのだ。
 そうしなければ、記憶の中の直人さんだって悲しむに違いない。


 彼の命日に…。というわけにはいかないが、こうして姉と共に年に一度ここへ訪れるのは、私達姉妹は、今も仲良く元気に暮らしています。
 そして、真実はどうであれ、あの時あなたが私を守ってくれた事を、今も感謝しています。
 その報告と感謝の意味を込めての事なのだから、過去を悔やんで泣いては、直人に心配を掛けさせてしまう。


 ────…強い憧れを抱いていた。


 それは好きとか嫌いとか、それ以前の問題で、姉と恭介とそして直人の三人が協力して、一つの事件を追っている姿を見ては、いつか自分もあの一員に加わりたいと願っていた物だ。
 そう、検事と刑事が協力し、一つの事件を追う姿に憧れた。
 なのに、自分は───。


「…現実はそう甘くないわね」

 溜息交じりに吐き捨てた言葉に、『何?』という表情を、巴が茜に向ける。
 それに茜は、はァ〜。と再び溜息を吐き捨てながら告げた。


「刑事課に配属になった時、せめてお姉ちゃんと直人さんとか、そうじゃなければ、せめて御剣さんとイトノコギリさんとかのように担当検事と協力して事件の真相を解明しよう!って思ってたの。
一番の理想的な姿は、やっぱり、罪門さん兄弟だったんだけど…どうして私は、アイツと組まされる事が多いのかな?ってちょっと思っただけ」
「アイツ?牙琉君の事?」
「そう。アイツ。
 いつもジャラジャラしてて、クラゲみたいにフラッと現れたかと思えば、気障な台詞だけ残して帰ってく、頭のおかしなヤツの事」


 先ほどまでの泣きそうな顔とは打って変わり、居もしない相手を思い出してか、茜は頬を膨らませ、唇を突き出す、いつもの怒り顔をしてみせる。


 その茜の顔を見て、巴は思わず笑い出す。
 その巴に対して茜が「お姉ちゃん?」と、何故笑うのかを問いたそうに呼んだ。


「茜は、牙琉君の事が本当に嫌いなのね」
「うん。大っ嫌いあんなヤツ。本当は同じ空気も吸いたくないくらい!」
「なるほどね」
 そう告げた姉の顔には、いつもとは違い、少し厭らしい笑みが浮かんでいる。


「な…何?その顔」
「茜は小さい頃からそう。
 本当に好きな物に対しては、そんな顔して『嫌い』って言うの」
「そんな顔って、どんな顔?
 それに酷い。他の人からはどんな誤解を受けたとしても、お姉ちゃんからは、そんな誤解を受けたくない!」


 冗談ではない。
 どうして私があの男の事を好きだなんて、酷い誤解をするのだろう。


「じゃあ、あなたが知らなくて、私が知っている茜の話をしましょうか?」
「どんな話?」
「例えば、小さい頃。
 お父さんが茜と遊園地に行く約束をしていたのに、仕事で行けなくなった時、茜は頬っぺたを膨らませて、少し斜め上をむいて、『パパなんて嫌い』って言ったわ。
 でもその日、お父さんにちょっと落ち込んだ様子で、『嫌いなパパとは茜ちゃん、お風呂に入ってくれないよね』と言われたら、『違うの、約束守ってくれないパパが嫌いなの』って、泣きながら抱きついたじゃない」
「そ…それは、お父さんの話でしょ?」
「じゃあ、お祭のくじ引きで、茜が大好きだったアニメの人形を、いとこのヒロくんが取って、『女の子物だから、茜ちゃんの取ったその水鉄砲と交換しない?』って言われた時も、あなた自分が取れなかった事に拗ねて、本当は欲しくて仕方が無いのに、『そのアニメ大嫌いだからいらない』って、頬っぺた膨らませて、そっぽを向いて言ってたわ…」
「………記憶に無いんだけど…ソレ」


 そんな子供の頃の話をされても、いまいち説得力に欠けると、そう口にしようとした時、
「中学生の頃、私にチョコレートの作り方を教えて。と言った時もそうだった」
と、巴が茜から視線を反らして、墓標へと向けてそう告げた。


「確かあれはバレンタイン近くだったわね。
 いきなり茜が、『手作りチョコレートを作りたいから』って、私のところに、チョコレートを持って来たの。
 あの時は驚いたわ。
 いきなり、鍋にチョコの塊を入れて、ガスコンロにかけるんだから」
「い…今は、湯銭で溶かすって事くらい、覚えてるから!!」
「そうね。
 そして私が『作ったチョコレートはどうするの?』と、当然の質問をしたら、あなたは、少し戸惑った顔をして、『友達と一緒に食べるの。学校で手作りチョコが流行ってるから…』って、見え見えの嘘をついたのよね」
「…あ…あれは…嘘じゃなくて…」
「あの時作ろうとしていたチョコレートは、友達と食べる気だったんだろうけど、本番は直人君にあげる気だったんでしょ?」
 そうストレートに訊ねられて、あの時のやりとりを思い出す。


『…ねえ、茜。もしかして、バレンタインに誰かにあげるの?
 手作りチョコレート』
『…う…う…ううん?ち…違うよ…。
 だ…だって私、あげる相手いないし…』
『…違うって言うわりには、ずいぶん動揺してるじゃない…』
『お…お姉ちゃん。余計な詮索はしないでよ』
『なるほどね。
 つまり、茜が本命チョコレートをあげたい相手は、私も知っている人間なのね…』
『だ…だから…違うってば…』
『ほら。よそ見しないで、ちゃんとかき混ぜないと、ダマになるわよ』
『う…は〜い』
『そうか。ふ〜ん。茜も誰かに本命チョコレートをあげるような年になったのね』
『ち…チガ…』
『あ、分かった。直人君だ!
 直人君に本命チョコレートあげるんでしょ?』
『……………ち…違う!だって、私、直人さんの事、大っっっっ嫌いだもん!!』
『あら。力を込めて『嫌い』って言う割に、私のところに遊びに来た時には、必ず直人君の執務室に顔を出して、かまってもらってるじゃない』


「…その後、『もう良い』って言って、チョコ作り断念したのよね…」


 図星を指された気恥ずかしさと、それを言い当てたのが自分の肉親だった事と、それらに後ろめたさのような物を感じて、茜はチョコを作る事も無く、既製品を渡す事も無かった。
 結局、好きだという気持ちをそのまま自分の胸にしまいこみ、何もしないまま、何も始まらないまま、その数ヶ月後、彼はこの世を去った。
 その事を今も後悔していないと言えば嘘になる。


「…どうしてわかっちゃったの?」
 あの時、姉があんな事を言い当てさせしなければ、こんな後悔はしなかったかもしれないと思いつつ、当時から不思議に思っていた事を、茜は素直に聞いてみた。
「どうしても何も、それは茜よりも長い年月生きて、ずっとあなたの事を見てきたのよ。
 それにあの頃の私は、捜査官で観察眼に優れていなければ出来ない仕事だったから、常に真実を探ろうと、気を張っていたのよ」
 しかも当時の彼女は、検挙率ナンバー1だ。
 抜け目無いのが当たり前といえば当然だ。


「…良い子だと思うわよ。牙琉君」
 彼女の口から、その名が出て、どこからこの話になったのかを思い出す。


「い…良い子って、まるで子ども扱いなんだね。お姉ちゃん」
「そうね。一人前とはまだまだ言えない、半人前ですらない、未熟者だもの彼」
 言う時は相変らず、すっぱり切り捨てる姉に、茜はポカァ〜ンと口を開ける。


「そして茜もまだまだ半人前にも満たない未熟者でしょ。
 だったら二人合わせて半人前でいいじゃない。
 あの頃の私達だって、三人合わせてやっと、半人前だったんだから…」
「お姉ちゃん?」
「だから。ね。ちょっとは認めなさい」
「…認める?」
「牙琉君の事、結構気に入ってるんじゃないの?」
「…だ…だから…気に入ってないって」
「ああ。そうか。茜に気があったとして、相手が気にしてくれないか。
  女の子が放っておかないでしょう?牙琉君なら」
「ウザったいくらい言い寄られてるんだけど!」


 両手を振り上げ、ムキになって言った茜を、巴がまたもや厭らしい笑みを浮かべて見つめる。
 そして茜は、墓穴を掘った事にそこで気がついた。


「牙琉君に言い寄られるなんて、良い事じゃない。
 もったいないからとりあえず、一回か二回は食事に付き合ってみたらどう?
 食事以上の事はできないように、釘をさしておくから!」
「だぁ〜かぁ〜らぁ〜。どうしてお姉ちゃんの方が、私よりも乗り気なの!?」
「義理だとしても自分の弟が、やり手の検事で人気ロックバンドのボーカリストなんて言ったら、ちょっと鼻が高いじゃない」
「いつからお姉ちゃん、そんなミーハーになったのよ!」
「さぁ〜。いつからだったかしら」
「とにかく私は、全世界の男の中で、アイツがもっとも嫌いなの!」
「はいはい。分かった分かった」
「その言い方全然、分かってなぁ〜い!
 もう、お姉ちゃんなんて大っっっっっ嫌い!!」


姉妹が仲良く、故人の墓前でそんなやりとりをしている時、どこかの検事局では、「ハックション」と、誰かがくしゃみをしていたとか。


キョウヤコワイ


2007.11/27UP



あとがき

 多分、11月に入ってから書いたと思われる作品。
 いつ書いたのか、まったく覚えていない所を考えると、11/3以降20日までの間に書いた物ではないかと思います。
 実はその間の記憶がほとんどありません。
 改めて周囲の人間に、「こんな事が」と言われて、羞恥心に苛まれている日々を今、送っています。
(当時の異常な行動を報告してくれる人に対して、毎回土下座しています。
 特に弟には、かなり無茶なわがままを言ったようで、お詫びと称し、毎日弟の部屋を掃除しています。雑巾がけは楽しいですね)
 多分、巴のキャラクターが崩壊しているのも、響也が名前以外、出て来ていないのも、自分の精神状態が、かなり酷い時に書いたためだと思います。
(実は響茜話の、響也の行動や台詞を考える時は、常に精神的な疲労を伴っているんです)
 そのため、作品に対する感想がまるっきり思いつきません。
 直人と茜のお話はまた、精神状態にゆとりがある時に、じっくり書きたいと思います。
(実は真野は弟よりも、恭介の方が好きそうなんだけど、どうも直人の方がキャラが透明な分、書き易そうで)


 ただ一つ、説明をする事があるとすれば、私の所の巴さんは、響也をわりと気に入っています。
 そして茜は、大好きな姉が大嫌いな相手を誉めて、勧める為に、意固地になって響也を嫌いになっていくというイメージなんです。
 巴さん気に入られれば気に入られるだけ、響也は嫌われていくという、真野にも内緒にしていた、不遇の設定というかイメージがあるんです。
 一方、響也サイドでは、霧人は、「弟=私の物」というのがあるので、とりあえず響也によってくる者は、どんなのでもとりあえず排除しておけ。的な妨害要素となります。
 アニキはかなりの粘着質なので、牢屋の中でも響也を遠隔操作できますよ(嘘です。ごめんなさい)


 手放す前の作品の記憶が飛ぶのは今回が初めてで、かなりショックを受けている、悠梛 翼でした。




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