夏休みの所為か、露店が並んでいる場所は、昼間にもかかわらず人がごった返していた。
人にもまれるように歩いていると、転びそうになり、その肩を優しく誰かに抱きとめられた。

「何か意地になってない?」

抱き止めた響也が、そう茜に問いかける。

一方問いかけられた茜の方は、
その顔が思いのほか近くて。
その抱きとめる腕が思いのほか逞しくて。
その美声が、思わず耳元で囁かれるように掛けられて。
そして彼のつけるフレグランスが上品に香って…。
味覚以外の感覚が刺激され、思わず顔に朱がさした。

そしてこの男は、それを見逃してくれるほど、初心でもなければ、疎くもなかった。

「アレ刑事くん、顔が赤いよ」

ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべて言った彼に、気づかれたと悟った茜は、反撃できずに、そのまま彼の腕の中へ包み込まれる。
「なんだ。そういう事か」
「そ…そういう事ってどういう事よ!!」
「へぇ〜。言っていいの?」
「ワケわかんない!!」

必死で抵抗しようとする茜の耳元に、優しく息を吹きかけると彼は、
「茜さんの天邪鬼」
と、囁いた。

囁かれた瞬間、全身が粟立つのを感じる。

この男の自惚れでもなんでもない、こういう自信に腹が立つ。
慣れすぎているのだ。この男は。
女の落し所をこの年で、ほぼ熟知している事に対して、たまらなく腹が立つ。
そしてこちらが惚れている事を認めてしまえば、後はこの男の手の上で、良い様に転がされるに違いない。

だから絶対に認めない。認めたくない。
こんな男なんて、好きじゃない。
ただの上司で、命令する者と命令される者の間柄でしかない!!

「…オレは茜さんが思っているよりも、優しいよ」

そう言って彼は、茜をきつく抱きしめる。
だが、息苦しいほどではない。
でもこの切なく、胸を締め付けるような想いは、彼の発したその言葉が、あまりにも悲しげだったせいだろうか。

「この世の中の誰よりも、君を大切にするから…」

───…ギャァ〜!キザ男!!お前はどうしてそういうクッサイセリフを、ポンポンと口にできんのよ!!

思わぬ気障な台詞に、動揺している茜の隙をつき、響也が、前髪越しに彼女の額へと口づけをしてきた。

その慣れた一連の仕草に、このままでは…と、警鐘が鳴り出す。

前にも一度、自然な流れでキスされた(しかもディープで長いのを)。
しかも、自然な流れで、『好きだと気がついても』、なんて恥ずかしい本心の一部を、吐露してしまった。

でもあの後、へらへらした顔で、ジャラジャラと近づいてきたこの男を見た時に、言いようのない怒りを覚え、「あれは気の迷いでした。じゃあ」、と言って、別れたのだ。

そしてこの流れでいくと、流されてそのまま、時間単位で料金を取られるホテルへ連れ込まれてしまいそうだ。
 しかも、それを受け入れてしまいそうな、今の自分も怖い。

 なぜなら今日の響也は、いつもの響也と違い、ジャラジャラしてないから…。

「なかなか傑作な顔をしてるね」

 響也が優しい笑顔でそう言うのにも、ドキドキしてしまう。

「さて。事務官との待ち合わせ時間も迫ってきた事だし、ちょっと露店をひやかして、それから、彼に頼まれた物でも買ってこうか…」

 そう言うと、彼は茜の肩を抱き、そのまま露店を見て歩く。
 茜はもう既に、反論するゆとりもなければ、気力すらなくなっていた。
 しばらく、響也に任せるがままに、呆然と露店を見ていた茜の目に、ふと止まった物がある。

「懐かしい」
「ん?なに?」
「ほらおもちゃの指輪。
 懐かしいな。小さい頃大好きで、お姉ちゃんによく買ってもらったっけ」
 そう言って、はにかんで笑った彼女の顔を見た響也は、自分の顔が火照るのを感じる。
 しかし、茜はその様子になどまるで気がついていない。
「…確かに可愛いね」
「でしょでしょ。女の子なら誰だって一度くらい、この壊れやすいおもちゃの指輪を欲しがるもんよ」
「………まあ、男の子が、ピストルのおもちゃを欲しがる感覚と一緒かな?」

 “可愛い”と言ったのは、何も指輪の事ではないのだが、響也はあえてそれに同意した。

「やっぱり、赤!!ルビーと称した赤いのが一番デザイン的にも、色合い的にも可愛いのよね!!」
「じゃあ、おじさん。これ一つ頂戴」
「へ?」
「はいよ。300円ね」
「じゃあ、はい」

 そう言って、的屋のおじさんに、300円きっかり響也は支払うと、茜が欲しがっていた、赤いおもちゃの指輪を一つ手に取り、上手にサイズを調整してから、それを茜の左手の薬指に嵌めてやる。

「まあ、胸を張ってあげるほど、しゃれた物じゃないけどね。
 茜さんのおかげで、決心がついたから、そのお礼」
「…何の話?」
「こっちの話。
 でもさ。本気で考えてもらいたいんだけど…」
「…何の事?」
「ぼくと付き合ってくれる話。
 茜さんの事が好きだから、他の男とイチャイチャされると腹が立つんだ。
 だから、茜さんの隣には、ぼくがいたいな…て」
「う…うっさいバカ!!何でそんな恥ずかしい、歯の浮くようなセリフを、ポンポン言えちゃうわけ?」
「そりゃあ、茜さんを落とすのに必死だから」
「嘘くさいのよ、その言葉が、アンタの存在自体が…」
「それはそっくりそのまま、茜さんに返すよ。
  だってぼくがいつもと違う格好をしただけで、そこまで動揺した上に、ときめいて、言動が怪しくなるくらい、ぼくの事が好きなくせに」
「う…自惚れないでよ!!」
「どうだろう。試してみようか?」

 そう言って打って変わり、真面目な表情になると、茜の顔に自分のそれを近づけた響也は、慣れた手つきでその顎の下を、親指と人差し指で支え、クィッと上へ向かせる。

 そして、真剣な眼差しで見つめられ、その目から自分の視線を外せずに固まってしまった茜は、やっとの思いで、「お土産買いに行こう!!」と、声を張り上げ、ついでに自分の唇を、手で覆い隠し、ガードする。

「チッ」

 案外堅いガードに、下品とは知りつつも、舌を打ちをして悔しさを表すと、「しょうがないね」と、腕時計を確認したうえで、露店を後にした。





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