なぜかは分からない。
 しかし、自然とそこに足が向いていた。


 彼だって自分同様、暇な人間ではないし、連絡せずに訪問した時は大抵、留守にしているか、────居たとしても、先客がいる事がほとんどだった。
 しかもその先客は、彼が霧人には、会わせたくないと思っている相手が多かった。


 ピンポ〜ン。と、インターホンを鳴らせば、珍しくすぐに、「はい。…………アレ?アニキどうしたの?」と、響也からの反応があった。
「珍しいですね。響也が家に居るなんて」
「…ああ。今日、検事もバンドもオフだったんだ。
 だから鰤の良いのが手に入ったし、大根が近所のスーパーで安かったから、鰤大根でも作ってみようかと思って…。
 ああ、そんな事より、ちょっと待って。今、開けるから。」
 慌てて響也が、エントランスのオートロックを解除する。
 そして霧人が、自動ドアが開いたのを確認したのと、「どうぞ」という声が、インターホン越しに聞こえたのは同時で、彼はそれから玄関ホールへ進み、そのまま止まっていたエレベーターに乗り込んで、弟の部屋へと向かった。


「アニキが遊びに来るなんて、久し振りだね…」
 そう言いながら、コソコソと脱ぎ散らかした服などを回収していく響也の姿に、霧人は、ヤレヤレと首を振りつつ、額を最後には押さえるという、いつもの癖をみせてから言う。
「相変らず、部屋掃除ができない子ですね。響也は」
「……アニキ、あのさ。
 ぼくももう、子供じゃないんだから、子ども扱いするのは辞めてくれないかな…」
「部屋掃除も満足にできないようでは、まだまだ子供です」


 そう言われてしまえば、二の句を告げなくなり、検事局No,1と言われている響也も、黙るより他にない。
 しかもそれが兄の言葉なら尚更だ。


 法廷ではそのような事はないが、ここは響也の自宅であり、法廷を離れてしまえば、二人は弁護士と検事ではなく、兄と弟の関係だ。
 忙しかった両親に代わり、兄が彼を育ててくれたと言っても過言ではないだけに、弟の彼は、兄に頭が上がらないのだ。


 それに、一つ大きな負い目もある。
 そっと視線をめぐらせて、兄の手を確認してしまうのは、いつもの癖だ。
 経緯までははっきりと思い出せない。
 しかし、兄の右手に残る、怪我の原因が、自分にあることだけは、はっきりと覚えていた。


「…………夕飯、まだだろ、何が食べたい?」
 いやな気持ちを振り払うように、響也は尋ねた。
 そしてその質問に、霧人が怪訝そうな表情をして訊ね返す。
「鰤大根を作っていたのではないのですか?」
「…鰤大根は、味がまだ染込んでいないから、明日の晩御飯のおかずにしようと思ってたんだ」
「圧力鍋ならすぐにできるでしょう」
「確かにそうなんだろうけど、やっぱり普通の鍋で、とろ火にかけてじっくり煮込みたいんだよね。ぼくとしては」


 大雑把に見えて、拘ると、とことん、それこそ頑固なまでに手を抜かない弟は、煮込み料理について、自分なりのポリシーがあるらしい。


「…では…久し振りに、お前の作った───…………」
────… 鍋料理が食べたいですね。
「…ホットケーキが食べたいですね」
 鍋料理と口にしようとして、実際音として出たのは、『ホットケーキ』だった。
 それに響也はぽかんとした表情で「は?」と、それだけで、「本当にそれでいいの?」と尋ねてきたが、「間違えました」と口にするのも癪に障り、「だ・か・ら」と口にして、「私は、ホットケーキが食べたいと言っているのですよ。響也」と、強調するように告げた。




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